本当に忘れないために
【編集日誌】
社会を生きる者の倫理
命日を持つ社会のたたずまいは、貴いものに感じる。縁のない第三者にすぎなくても、故人となった同胞をしのび頭(こうべ)をたれるという精神の働きは、その社会のよい成員であるために不可欠のことのようにも思える。頭をたれ、故人の訴えに耳を傾けようとするとき、その人はすでに第三者ではあるまい。亡くなった人が生きている者を導くということが確かにある。亡くなった人の遺志を継ぐということは、その社会を生きる者の倫理の問題となってくる。
この時期、東日本大震災に関する報道が増える。ほんの偶然が生死を分けた。亡くなるいわれのなにもない人たちだった。生きている者には何が託されているのか、報道を通じて考えたい。3・11とはそんな日なのだろうと思う。
産経ニュースよりの引用でございます。
あの日から早5年の歳月が過ぎてしまったのかと、時の往く刹那さを改めて思い直す本日でございます。
テレビやラジオでは、”あの日を忘れない”や”被災者に寄り添う”などと美辞麗句が飛び交っておりますが、キャスターやパーソナリティが、常日頃より本当に肝に銘じているものかどうか?疑うことは失礼やも知れませんが、神社仏閣へ一年に一度、初詣をしたくらいで神さまにお聞き入れいただくなどと虫のいいお話は無いことと同様に、この日だけを特別に取り上げることにいささかの疑念を抱いてしまうものでございます。
「チームわにまろ」といたしましても「あしなが育英会」さまを通じて、東日本大震災の被災児童・生徒に出来うる限りの支援をさせていただこうと日々努力いたしておりますが、時が経つにつれ、”自分たちの生活で精一杯で支援どころではない”というお声も耳にいたします。風化といわれるものでございましょう。
本当に忘れないために日々何をすべきか?あの災害を対岸の火事と片付けてはいないのか?国家とは?民族とは?生きるとは?
様々なテーマが浮かび上がる神さまよりの課題に、日本国としてどう立ち向かうのかを、また思いふける今日でございます。
社会を生きる者の倫理
命日を持つ社会のたたずまいは、貴いものに感じる。縁のない第三者にすぎなくても、故人となった同胞をしのび頭(こうべ)をたれるという精神の働きは、その社会のよい成員であるために不可欠のことのようにも思える。頭をたれ、故人の訴えに耳を傾けようとするとき、その人はすでに第三者ではあるまい。亡くなった人が生きている者を導くということが確かにある。亡くなった人の遺志を継ぐということは、その社会を生きる者の倫理の問題となってくる。
この時期、東日本大震災に関する報道が増える。ほんの偶然が生死を分けた。亡くなるいわれのなにもない人たちだった。生きている者には何が託されているのか、報道を通じて考えたい。3・11とはそんな日なのだろうと思う。
産経ニュースよりの引用でございます。
あの日から早5年の歳月が過ぎてしまったのかと、時の往く刹那さを改めて思い直す本日でございます。
テレビやラジオでは、”あの日を忘れない”や”被災者に寄り添う”などと美辞麗句が飛び交っておりますが、キャスターやパーソナリティが、常日頃より本当に肝に銘じているものかどうか?疑うことは失礼やも知れませんが、神社仏閣へ一年に一度、初詣をしたくらいで神さまにお聞き入れいただくなどと虫のいいお話は無いことと同様に、この日だけを特別に取り上げることにいささかの疑念を抱いてしまうものでございます。
「チームわにまろ」といたしましても「あしなが育英会」さまを通じて、東日本大震災の被災児童・生徒に出来うる限りの支援をさせていただこうと日々努力いたしておりますが、時が経つにつれ、”自分たちの生活で精一杯で支援どころではない”というお声も耳にいたします。風化といわれるものでございましょう。
本当に忘れないために日々何をすべきか?あの災害を対岸の火事と片付けてはいないのか?国家とは?民族とは?生きるとは?
様々なテーマが浮かび上がる神さまよりの課題に、日本国としてどう立ち向かうのかを、また思いふける今日でございます。
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