命をかけた神との誓い
平成二十八年二月十一日紀元節、社長さまはこの日をお選びになり二月の月参りをなさいました。それは「神武天皇」さまが、大和は橿原に地にわが国をお肇めになられた日であるからでございます。そして、まさにこの日は、社長さまがそのお命をかけた神さまとのお誓いをなさった日でもございました。

アサダ自動車のシンボルマークはやたがらすでございます。その所以から、大宇陀の「八咫烏神社」さまには必ずご参拝なさいます。このお写真は「八咫烏神社」さまの御前での、わたくしめの祈りを捧げているところを、社長さまがお撮りくださったものでございます。
何度も記してございますように、アサダ自動車のご創業者でございます、社長さまのお爺さまは、大東亜戦争末期におきまして、国土防衛決死隊編成に際して大変なご覚悟の下、”一歩前へ”出られたのでございます。それは、その瞬間、既にお爺さまはお命を捧げられたということなのでございます。神風特別攻撃隊と同じく、決死のご覚悟であったのでございます。結果的には、その命を捨てるご覚悟が、終戦を迎え生き延びる道へと繋がったのでございます。
「己を尊ぶの極は、ささげるにある」 これは、社長さまが現在、学んでおられます経営セミナーの教本に記された一文でございますが、お爺さまの一歩前へと自らを捧げられたこと、それがまさに自らを助けたことになったことを鑑みますと、意味深い一文であると申し上げなければなりません。
アサダ自動車はお爺さまのお命そのものである、社長さまは常々そうお考えでございます。そして今、そのお命を脅かす状況が度々襲ってまいっております。社長さまは、決してその「命の灯火」を消してはならないとお考えでございまして、そのためには一身を投げ打つ覚悟が必要とのお気持ちから、アサダ自動車に一大事ありやの際には、ご自身のお命と引き換えに命の灯火をお守りくださいますようにと、神さまの御前にて改めてお誓いされたのでございます。
「死ぬ気でやったら何でも出来る。もう命は神さんに捧げたんやから、怖いもんはない。俺は死んでもアサダ自動車は残るんや。死んでも必ず生まれ変わって、浅田の名前を守りに帰ってくる、絶対に」
そう仰りながら微笑んでおられる社長さまに、わたくしめもお供するつもりでいるのでございます。
Starting Over

アサダ自動車のシンボルマークはやたがらすでございます。その所以から、大宇陀の「八咫烏神社」さまには必ずご参拝なさいます。このお写真は「八咫烏神社」さまの御前での、わたくしめの祈りを捧げているところを、社長さまがお撮りくださったものでございます。
何度も記してございますように、アサダ自動車のご創業者でございます、社長さまのお爺さまは、大東亜戦争末期におきまして、国土防衛決死隊編成に際して大変なご覚悟の下、”一歩前へ”出られたのでございます。それは、その瞬間、既にお爺さまはお命を捧げられたということなのでございます。神風特別攻撃隊と同じく、決死のご覚悟であったのでございます。結果的には、その命を捨てるご覚悟が、終戦を迎え生き延びる道へと繋がったのでございます。
「己を尊ぶの極は、ささげるにある」 これは、社長さまが現在、学んでおられます経営セミナーの教本に記された一文でございますが、お爺さまの一歩前へと自らを捧げられたこと、それがまさに自らを助けたことになったことを鑑みますと、意味深い一文であると申し上げなければなりません。
アサダ自動車はお爺さまのお命そのものである、社長さまは常々そうお考えでございます。そして今、そのお命を脅かす状況が度々襲ってまいっております。社長さまは、決してその「命の灯火」を消してはならないとお考えでございまして、そのためには一身を投げ打つ覚悟が必要とのお気持ちから、アサダ自動車に一大事ありやの際には、ご自身のお命と引き換えに命の灯火をお守りくださいますようにと、神さまの御前にて改めてお誓いされたのでございます。
「死ぬ気でやったら何でも出来る。もう命は神さんに捧げたんやから、怖いもんはない。俺は死んでもアサダ自動車は残るんや。死んでも必ず生まれ変わって、浅田の名前を守りに帰ってくる、絶対に」
そう仰りながら微笑んでおられる社長さまに、わたくしめもお供するつもりでいるのでございます。
Starting Over
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