生きる力としての国語力 2
さて、国語力についての続きでございます。
”国語”という言葉をお耳にされ、みなさまが、まずお浮かびになられますことは学校教育であろうかと思われますが、その学校教育における国語の指導について、わたくしめは疑問を感じております。
教室における国語の授業は国語担当教員が前に立ち、虎の巻に書かれたことを話すのみではないのか?とすら感じてしまう内容のようでございます。個々の教員の創意工夫を期待したいところではございますが、忙しい現場教員に期待すること自体が酷なのかも知れません。
社長さまは英語ご指導の傍ら、国語のご指導もなさいます。その指導教材として、中学生に対しましても「大学入試センター試験」用のものをお使いになられます。次のお写真のような教材でございます。

高校入試も大学入試も同じように評論や小説からの出題がございまして、問題自体の難易度にこそ違いはあれ、読み込むという作業に変わりはない、いえむしろ、相手が中学生であればこそ、指導する側にはより深い経験や思考を要するということなのでございます。
一般人以上に読書し、一般人以上に思考力を発達させた筆者の記すものをすらすらと理解出来るということは至難でございます。それゆえ、指導する立場の者がどれだけその書き物に深く入り込み、理解し、対峙し、持論を展開できるのか?ということに尽きるのでございます。
今回の問題は「竹内成明」さまの書き物よりの引用でございますが、この書かれた内容をそのまま鵜呑みなどしていては、その人物の主義主張・思想に染まってしまい、それは国語力の向上にはつながらない結果となってしまうのでございます。
つまり、国語力とは、一人の人間が”一生”を通じて磨き続けるべき知的能力の一つであり、その人物そのものをつくりあげる食物同様の栄養素となるべきものであるがゆえに、ゆめゆめ立ち位置を間違えてはならない、時には凶器にもなりうるものであるということを胸に刻んでおかなければならない”無限の力”なのでございます。
朝日新聞の書き手のように大和民族としての国語力が欠如しておりますと、あのようなアホウ醜態を全世界に晒すことになってしまうわけでございます。
大学入試問題にアホウ新聞から多く出題されているとのことでございますが、我国の大学生の知的レベルの低下は、そのようなアホウな書き物に触れるがゆえの結果なのでございましょう。我が大和破壊を目論むサヨク連中の、無理やりに鵜呑みさせている”成果”でございましょう。
国語力を磨くまず第一は「民族を涵養する言語を学ぶための根を下ろす場所を間違えてはならない」ということでございます。学ぶべきことは、目の前の書かれた文字を読み取るということだけではなく、自らが生を受けた民族の歴史や伝統に照らし、その書物の思考が如何なる立場にあるものか?ということを察知し、持論をぶつけ合う一種の戦いであるということを認識しなければなりません。
そこから、国語学習の楽しさが生まれてまいるのでございます。朝日新聞やサヨク教員が進める”天声人語を書き写す”などというようなアホウな行為は慎むべきでございます。それは、アホウなサヨク思想を刷り込みさせたいがゆえの”洗脳作業”に過ぎない、ということをお忘れなきように忠告申し上げます。

本日は、ここまでといたします。
”国語”という言葉をお耳にされ、みなさまが、まずお浮かびになられますことは学校教育であろうかと思われますが、その学校教育における国語の指導について、わたくしめは疑問を感じております。
教室における国語の授業は国語担当教員が前に立ち、虎の巻に書かれたことを話すのみではないのか?とすら感じてしまう内容のようでございます。個々の教員の創意工夫を期待したいところではございますが、忙しい現場教員に期待すること自体が酷なのかも知れません。
社長さまは英語ご指導の傍ら、国語のご指導もなさいます。その指導教材として、中学生に対しましても「大学入試センター試験」用のものをお使いになられます。次のお写真のような教材でございます。

高校入試も大学入試も同じように評論や小説からの出題がございまして、問題自体の難易度にこそ違いはあれ、読み込むという作業に変わりはない、いえむしろ、相手が中学生であればこそ、指導する側にはより深い経験や思考を要するということなのでございます。
一般人以上に読書し、一般人以上に思考力を発達させた筆者の記すものをすらすらと理解出来るということは至難でございます。それゆえ、指導する立場の者がどれだけその書き物に深く入り込み、理解し、対峙し、持論を展開できるのか?ということに尽きるのでございます。
今回の問題は「竹内成明」さまの書き物よりの引用でございますが、この書かれた内容をそのまま鵜呑みなどしていては、その人物の主義主張・思想に染まってしまい、それは国語力の向上にはつながらない結果となってしまうのでございます。
つまり、国語力とは、一人の人間が”一生”を通じて磨き続けるべき知的能力の一つであり、その人物そのものをつくりあげる食物同様の栄養素となるべきものであるがゆえに、ゆめゆめ立ち位置を間違えてはならない、時には凶器にもなりうるものであるということを胸に刻んでおかなければならない”無限の力”なのでございます。
朝日新聞の書き手のように大和民族としての国語力が欠如しておりますと、あのようなアホウ醜態を全世界に晒すことになってしまうわけでございます。
大学入試問題にアホウ新聞から多く出題されているとのことでございますが、我国の大学生の知的レベルの低下は、そのようなアホウな書き物に触れるがゆえの結果なのでございましょう。我が大和破壊を目論むサヨク連中の、無理やりに鵜呑みさせている”成果”でございましょう。
国語力を磨くまず第一は「民族を涵養する言語を学ぶための根を下ろす場所を間違えてはならない」ということでございます。学ぶべきことは、目の前の書かれた文字を読み取るということだけではなく、自らが生を受けた民族の歴史や伝統に照らし、その書物の思考が如何なる立場にあるものか?ということを察知し、持論をぶつけ合う一種の戦いであるということを認識しなければなりません。
そこから、国語学習の楽しさが生まれてまいるのでございます。朝日新聞やサヨク教員が進める”

本日は、ここまでといたします。
スポンサーサイト