原点
社長さまは、小さい頃には夏休みともなれば、お母さまのご実家に長期に渡りご滞在されていたそうでございます。大好きなお婆さまとおばさまとの楽しいお時間を過ごされていたのでございますね。

こちらのお写真は、お母さまのご実家に通じる最後の坂道でございまして、社長さまがお子さまの頃は、当然のように地道であったとのことでございます。今はすっきりとお空が見えてございますが、当時はガードレールも無く、草木が生い茂ってガードレールの役割を果たしてもいたようでございますよ。

社長さまのお母さまのご家族は、元々は大宇陀の藤井というところの大地主さまであったようでございますが、大東亜戦争後のGHQによります農地改革のために多くの所有地は取り上げられ、また残った土地もお知り合いの保証人になっていたことが原因で全てなくされたそうでございます。
窮地におちいられました社長さまのご祖父母さまは、ご親戚やお知り合いをつてに、吉野郡下市町に居をお構えになられたということでございます。今では、おばさまがお一人、平地に広がってございます住宅地にお住いでございます。
それゆえに、上にございます左お写真のお家には、もう十五年以上、どなたもお住みではございませんが、社長さまが幼い頃から物心がつくまでの”やまと”での沢山の思い出が詰まったお家でございますね。

遠く向こうに拝見できます山々の景色は変わってはいない(写真左)とのことでございますが、お墓に通じます通路は広く整備され、両脇にございました田畑は無くなり、駐車場になっている所もございますね。
早朝には朝靄の山々を眺め、日中には虫取り網をもって草むらや林に入りこみ、夕刻にはヒグラシの声を聞くという我国の心のふるさとにございますような情景に、子どもの頃の社長さまはすっかりと溶け込んでおられたのでございましょう。
ここが、社長さまの”生きるための原点”なのだそうでございます。
愛に抱かれて

こちらのお写真は、お母さまのご実家に通じる最後の坂道でございまして、社長さまがお子さまの頃は、当然のように地道であったとのことでございます。今はすっきりとお空が見えてございますが、当時はガードレールも無く、草木が生い茂ってガードレールの役割を果たしてもいたようでございますよ。


社長さまのお母さまのご家族は、元々は大宇陀の藤井というところの大地主さまであったようでございますが、大東亜戦争後のGHQによります農地改革のために多くの所有地は取り上げられ、また残った土地もお知り合いの保証人になっていたことが原因で全てなくされたそうでございます。
窮地におちいられました社長さまのご祖父母さまは、ご親戚やお知り合いをつてに、吉野郡下市町に居をお構えになられたということでございます。今では、おばさまがお一人、平地に広がってございます住宅地にお住いでございます。
それゆえに、上にございます左お写真のお家には、もう十五年以上、どなたもお住みではございませんが、社長さまが幼い頃から物心がつくまでの”やまと”での沢山の思い出が詰まったお家でございますね。


遠く向こうに拝見できます山々の景色は変わってはいない(写真左)とのことでございますが、お墓に通じます通路は広く整備され、両脇にございました田畑は無くなり、駐車場になっている所もございますね。
早朝には朝靄の山々を眺め、日中には虫取り網をもって草むらや林に入りこみ、夕刻にはヒグラシの声を聞くという我国の心のふるさとにございますような情景に、子どもの頃の社長さまはすっかりと溶け込んでおられたのでございましょう。
ここが、社長さまの”生きるための原点”なのだそうでございます。
愛に抱かれて
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