さて、みなさま、その後のお勉強の進み具合は如何なものでございましょうか?わたくしめが”国語力をつける”と大それたお話について書き始めまして以来、四週間が経ったようでございます。
ある方からお問い合わせをいただきました。「うちの子は、
定期テストの点は取れるのに、模試になると全くだめで・・・国語は得意科目のはずなのに。」というものでございました。

まず、定期テストは範囲が決まってございますし、授業中に先生が大切なところを力説されたり、あるいは「ここ出すよ~」と仰ることも多々ございましょう。模試と比べてお出来になられる、それは当然と申しますれば当然の結果でございましょう。授業に真面目に取り組んでおられますれば、70~80点は取れるものでございます。
模試は、殆どの場合、初めて目にする文章でございましょう。それゆえ、読み込むお力が無ければ正解に至ることは難しい、また受験とは落とすためのものでございますゆえ、真の実力が必要なのでございます。定期テストの出来=国語の実力ではございません。それは、真面目さをあらわす指標でございます。

一朝一夕に国語力がつくわけではないことは、十分にご理解いただいておられることと存じます。国語力、殊に受験で問われます国語力は、
思考構成論理力と申し上げても過言ではないと思っております。このお力は、受験生のみなさまのみならず、社会人のみなさまにとりましても大切なお力でございます。
論理力がないと、北朝鮮の核実験に対して中学生が正しい反応を示されましても、突拍子も無いアホウな応答をしてしまうのでございますね。論理的思考能力があれば、少なくとも万人に恥をさらす結果を導いてしまうようなことは避けられたはずでございます。
この論理力をお付けいただくということが、英語の長文を読みこなすためには不可欠なことであることもお話させていただかなくてはなりません。英文、それもネイティブがお書きになられました評論などは、読み込むためには鋭い論理力を必要といたします。その所以は、英語は日本語よりもより機能的であるということでございます。
わたくしめは決して、英語が日本語よりも勝っているということを申し上げているのではございません。言語といたしましては、それは大和言葉のほうが遥かに優れた、多様性も持ち合わせたお言葉であることは言うまでもございません。読者に行間を読み取らせるために使用する書き手の研ぎ澄まされた感覚、物事を示すためにございます幾つものお言葉、そして”
助詞”というものの存在など、これらは我国の言語の優位性を示す証拠の一部でございましょう。

英語が機能的であることは、その性質上のことでございまして、そこからどうしても論理的記述にならざるを得ないものなのでございます。主語や目的語は欠かすことは出来ません。書き手が誰であり、受け手が誰であるのか、はっきりと書かれていなければ理解できない文章構造でございます。
「お腹すいたなあ。ねえ、お昼どうする?」
「そうやなあ、カレーは?」
「昨夜食べたから、ピザがいいよ~」
"
I'm hungry. Well,
what dou you want to eat for lunch?"
"Let me see...,how about curry?"
"I ate
it for dinner last night, so
I want to
eat PIZZA!"
如何でございましょう。このような短いやり取りにおきましても、英語は何がどうであるのかを確定させる必要がある言語なのでございます。機能的にならざるを得ないということでございます。その帰結として、論理的になるということでございますね。
お勉強法の一つといたしまして、英語評論を、論理力を磨くためにご使用なさることも良いことでございましょう。それにつきましては、また次回以降に・・・。